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驚きの文学史 スペイン文学と日本


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続スペインねたです
他の国もってリクエストが入っているんですが ま、ちょっとお待ちを。

週末の二日間で五時間の国語の授業(スペイン語の現地人向けクラスですね いわゆる)があって びっくり仰天したので 是非、皆さんも一緒に驚いてください。
ダイジェストで知らずに学ぶー皆さんもスペインの中高生の知識を!!居ながらにして身につける!! 笑

スペイン語の成立と文学史が始まりましたが、いやーーーーー驚いた!!
スペインでは今、教壇に立っている教師の母親の時代まで 公式文書はラテン語でないといけないという観念だったというのです。つまり昨日まで スペインの国語としてのカスティーリャ語に、そもそも国語のカテゴリーを与えなかった。邪道、レベルに達しない言語 劣勢言語として卑下。ラテン語が公式言語。大事なことが全部これで書かれていた。

お祈りの言葉は15世紀あたりでは全部ラテン語で暗誦。17世紀に聖書をスペイン語で書いた宗教家は投獄されたって言うんです。自虐史観って日本の専売特許じゃないのか。なんだ やるじゃんスペインも 爆。

ま、公平を期せば、お経も中味がなんだかわかんないですけどね。唱えてる、とにかく。ここは似たようなもんか。
(般若心経なんて何語? サンスクリット語だよ へ?これが? 真偽は? いいから唱えなさい!!みたいな かなりあれですが....インド経て シナで漢字になって 日本で漢字の音読みだし やっぱりかなりあれです。)

けれども驚くのは 12世紀まで(エル・シドの武勇伝)これと言って価値ある文学が成立しなかったって下りです。
更に驚くのは 14世紀まで これの他に匹敵するような価値ある文学が無いって事です

韻もまともに踏めてない伝承文学としての 作者不詳の語り伝えが一つ。
14世紀になって 宗教家が信心すれば天国に行けるよ式の韻を踏んだ 書き物が一つ。
これっきり
あとは16世紀まで全部この過疎地である文学畑は同じことの焼き直しばかりだって言うんです。

えーーーーー!!??じゃあ 戯曲や詩やなんかが沢山出て スペイン文学の黄金時代って言われている17世紀は何?て叫んじゃいましたよ。

17世紀が黄金時代、次の100年の18世紀は光の時代って言われて更に進化したということで 教科書なんかには美しい絵や詩人や芸術家の肖像画で溢れているんです。

て、ことは何で黄金時代かというと初めて出てきたからなのか!!
集大成された爛熟期だからだとばかり思っていたのに 初めて出てきた=だから黄金!!
ヒゃーーー驚き!!なにしてたのよ? 17世紀までずっと?

日本はどうだったかと言うと
8世紀後半には、現存する最古の歌集『万葉集』が出てます。20巻、450年にわたって天皇から庶民まで各階層の作者がつくった約4,500首もの歌が含まれている=当時の日本人の教養は庶民でも詩作が出来るほど。(でも450年も時代をさかのぼる?と最初の歌が四世紀? ←一番古い歌が七世紀ってあるのにどうしたら450年て数字が出てくるのか????誰か教えてくださいませ)

清少納言 10世紀『枕草子』日本最古の随筆 エッセイの元祖。
冬はつとめて とか、虫愛ずる姫君とか...感動したのを昨日のことのように思い出します。あんまり古文が面白くて 語学志望だったのを止めて国文科に行くべきかとかなり思い悩みました。それほどに17才の乙女の心を惹きつけて止まない 素晴らしい教養と格調高い文章と鋭い着眼点。そして壮絶な清少納言の最期も とにかく私にとっては心の震えるような作者でした。
日本では こんなに優れた作品が出ているのに スペインてまだ最初の文学が出て来るのに200年も待たないといけなかったってことです。遅れてるよ いくらなんでも。しかもおぞましい強姦シーンまで出てくるんだからその初めの文学作品には。 私たちとは品性がもう全然違う。

日本の源氏物語なんか11世紀だよ? もうここに女流作家が登場している。しかも最盛期って言われるくらいだから
その前の時代が当然ある。『源氏物語』は54帖におよび、世界最古の長編小説

しかも 行い良ければ天国に行けるよなんて陳腐な話ではなくて 壮大にして複雑な心理描写と示唆に富んでいる、紛れも無い文学作品で、紫式部の教養、並々ならぬは 皆さんご存知の通りです。

いづれの御時にか、 女御更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めきたまふありけり♪....今でもすらすら出てきちゃう このすばらしいドキドキの書き出し。

13世紀『平家物語』作者は不明 琵琶で語り伝えられた あの美しい「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ 偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ・・・」

ああ、なんだか泣けてきてしまいました。素晴らしい名文です。
https://www.youtube.com/watch?v=xyUVT8sas6g

17世紀初めに江戸幕府の創設だから、スペインに初めて文学が台頭した頃には日本はもう爛熟期ですよ。松尾芭蕉の『奥の細道』は、日本の紀行文学の代表作

ざっと復習すると大雑把ですが こんな感じです。

7世紀『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)聖徳太子
8世紀初『古事記』と『日本書紀』
759年以前『万葉集』
10世紀 清少納言『枕草子』905年には初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が編纂
11世紀 紫式部 源氏物語

日本三大随筆
清少納言『枕草子』10世紀 平安時代
鴨長明の『方丈記』、13世紀 鎌倉時代
吉田兼好の『徒然草』14世紀

もうね、作品はいっぱいあります。書くとごちゃごちゃするので止めますが 清少納言と前後して和泉式部日記もあるし、六歌仙とか36歌仙とか歌の上手が後世選ばれているし、とにかく歌は 皇室から下々にまで行き渡っていた。西洋の王様ってろくなことしていないですよ。庶民なんて もう食うや食わずだけで詩作なんてする文化は無かったといってしまって良いくらいに粗野。分盲率物凄いし。

スペインの文学は、征服者であるアラビア人によってもたらされていたという側面はあるらしいですが、これはアラビア語だからアラビア人のアラビア文学になる。
西カリフ王国がコルドバに出来て文化の中心になります。
でもこれはスペイン人の手柄ではないですからね。
 


凄すぎるよ、日本!!!

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02 : 09 : 48 | 日本の偉業 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

国際連盟ー人種差別撤廃条項について


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昨夜は親子ともに徹夜で 第二次世界大戦前夜とも言うべき米国のハワイへの干渉と準併合までのハワイの王家に視点を当てたレポートと 日露戦争の舞台だった満州とその歴史をかいつまんで19世紀の地図を証拠として添えたりしました。そしていよいよ いかにして開戦に至ったのかと 戦争の中身は飛ばして終戦後の独立国という結実を11ページにまとめて 今朝、無事子供を学校に送り出しました。大戦の真っ只中の状況その他は夏休みにレポートを作ると言わせて 子供はちょっとひるんでいましたが あなたが外国で暮らす限りは このテーマでさんざん突かれて人生送るのだからしっかり知っておかなくてはいけないのだと言いましたら 眠い目をこすりながらこっくりとうなづいていました。すなわち これは私自身に返る言葉でもあり、夏は厳しい翻訳の日々になりそうです。

どうしても盛り込む時間のなかった人種差別撤廃の下記の一連は いい加減な下書き資料と その辺でもらってきた良く書けた文章ですが 熱心な志の人というのはいるものでるネットにこのような整理された文章が披瀝されていました。未整理ですが せっかくなので掲載しておきます。ご参考となれば幸いです。


1919年(大正8年)のパリ講和会議において、日本が国際連盟規約に人種差別撤廃を定めようとしたのはもっと知られていいと思うのに 私もこれは踏み込んで読んでいませんでした。この人類史的な意義は本当に大きく、日本て日露戦争でも大東亜戦争でも 実ににアジアの人々に希望を与えたのに なんで逆のことばかり喧伝されないといけないんでしょう。世界はおろか 国内で自分のことを必要以上に貶めるっていうのは まじめに向き合わないといけないですね
なぜなら それを放置したがために滅びようとしているじゃないですか、この栄えある民族は!!
ご存知ない方に概略を書きますと、

日本の代表として最初に人種の平等を世界に対して訴えた偉い人なのに知名度の低さといったら無い・・・・・・・・・・もっと評価されなくては嘘だと思うのですが。 なんで日本人って自国を落とす事にばかり熱心なんだろう こんな立派な人が居たなんて 日本人として誇りですよね

牧野伸顕 政治家。
文相、農商相、外相を歴任。 宮内大臣、内大臣を務め、宮中の重鎮であった。伯爵 (牧野伸顕の娘である雪子が、吉田茂の夫人だそうです。)
パリ講和会議では次席全権を務め、各種委員会の実質的なリーダーとなる。あの時代の偉人が多くそうだったように悠然たるたたずまいで清貧。

...................,

国際連盟に対して、日本として、何か画期的な提案を盛り込むことはできないか。
牧野は、やがて、人種差別廃止という理念を、国際連盟の規約に盛り込んではどうかという提案を思いつく。
人種差別廃止案は、政府の訓令の中にあった、黄色人種であることを理由に不利益を被らぬように、
という一文がヒントだった。この訓令の裏には、明治以来、西洋諸国に移住した日本人が、肌の色を理由に、
様々な差別を受けていると言う事情があった。カリフォルニアなどでは「日本人お断り」と書かれた看板が掲げられることもあり、さまざまな迫害を受けていた。
1919年2月、牧野は、人種差別廃止という画期的な提案を胸に秘めて、会議の場に望む。ところが、この日、議長のウィルソンが、国際連盟について議会の協力を取り付けるため欠席。代わりに議長を務めることになったのは、イギリス全権の一人、ロバート・セシル。
牧野が提案するや否や、セシルは猛反対した。人種差別廃止は、植民地を多く持つイギリスの国益に反するからである。
人種差別廃止の規約とあれば、イギリスは、 有色人種の人々に、イギリス人と同等の権利を認めざるを得ず、ひいては、植民地の独立を招くことになる。議長セシルは、採決の必要なしと断定し、日本案を却下する。
そんなある夜、アフリカのリベリア人が牧野を訪れ、『人種問題で奮闘してくれてありがたい。自分たちの迫害を受けている実態はこうだ。しっかりやって欲しい』と語った。
また、アイルランド人の女性がきて、『自分の国は、イギリスから歴史的にひどい目にあっている。我々の境遇を察して演説してもらいたい』と牧野に頼んだ。
日本が提出した人種差別廃止案は、はからずも、大きな反響を呼んでいたのである。
1919年4月、国際連盟の規約を決する最終会議が開かれた。参加者は18人。議長は、アメリカから戻ったウィルソンである。冒頭、牧野は、すかさず立ち上がり、人種差別廃止修正案を提出した。
『各国は、全て平等という主義にのっとり』と言う一文を、連盟設立の趣旨をうたう全文の中に入れたいと主張する。
理念としての平等ならば、誰も反対はできないはずだというのが、牧野の考えだった。 賛成をためらっていた各国のうち、まずイタリアが日本案に賛成を表明、 続いてフランスも賛意を表す。相変わらず反対のイギリスを除き、会議の大勢は決していた。ところが、議長ウィルソンは、『民族平等の原則は、すでに連盟の基本的原則になっている』と言葉を濁して、採決を渋る。
日本の人種差別廃止案に反対する国内世論を気にしたウィルソンは、賛成するわけにはいかなかったのである。
だが、牧野は言い放つ。『この案は、日本国民のゆるぎない意思である。採決を』
ウィルソンは、しぶしぶ採決を取った。賛成は、日本、フランス、イタリア、中国など11票。
反対または保留は、イギリス、ポーランドなど議長を除いて5票。11対5で、日本案の圧勝であった。
だがその時、議長ウィルソンの口から、思いもよらぬ言葉が飛び出した。
『日本の提案は、成立しなかった。全会一致の賛成が得られなかったので、採決されない』
会議は騒然となった。『これまでは全て多数決だったのに、なぜ、今回に限って全会一致を必要とするのか』と言う牧野の抗議に対し、
ウィルソンは平然とこう答えた。『このような重要な問題は、全会一致でなければならない』間発をいれず、ウィルソンは、否決を宣言した。
牧野は言った。『日本案に対し、過半数の賛成票があったことを、議事録に記述するよう希望する
これが、ウィルソンに対する牧野の精一杯の抗議だった。

1919年6月、パリのベルサイユ宮殿で、26ヶ国が講和条約に調印。
国際連盟は、国際条約の第1条において、設置を宣言される。
しかし、その後、国際連盟を提唱した当の国であるアメリカが「議会の反対を理由に不参加」を表明。
国際連盟は、当初の理想とはかけ離れた形で成立せざるを得なくなったのであった。

......................................もう一つの説明
1919年4月11日 午後8時30分。
国際連盟委員会最終会議。参加者は17人。議長は、アメリカ大統領ウイルソン。

○牧野は、
「各国は全て平等という主義にのっとり」 という一文を国際連盟規約の前文に入れたいと主張。

○イギリス代表委員のセシルが反対した。

「この修正を受け入れれば、大英帝国の様々な法律に反することになる」

○日本代表委員、珍田捨巳がただちに反論。

「修正案は、あくまで理念をうたうものであって、その国の内政における法律的規制を求めるものではない。にも関わらず、拒否しようというのは、イギリスが他の国を平等と見ていない証拠になる」

○イタリア首相オルランドが賛成を表明

「この修正案が提起された以上、採択する以外に解決策はない」

○フランス代表委員ブルジョアも賛同

「日本案が示しているのは正義という大原則である。拒否するのは不可能だ」

いよいよ採決の時ー

○アメリカ大統領ウィルソン

「民族平等の原則は、既に連盟の基本的性格となっている。
    今さら規約の前文に記入するまでもないのではないか」

            (アメリカでは、日本の人種差別廃止提案に対する反対が強まっていた)

○牧野
「この案は、日本国民の揺るぎない意思である採決を」


■賛成:日本、フランス、イタリア、中国など11票。

■反対・保留:イギリス、ポーランドなど、議長ウィルソンを除いて5票。

      11 対 5 で日本案の圧勝。

○議長アメリカ大統領ウィルソン

「日本の提案は成立しなかった。全会一致の賛成が得られなかったので採択されない」

  (会議は騒然とした)

○牧野

「コレまでの会議は全て多数決で決めてきたではないか。
   なのになぜ、今回に限って全会一致を必要とするのか」

○議長アメリカ大統領ウィルソン

「このような重大な問題は、全会一致でなくてはならない」

     間髪を容れず、ウイルソンは否決を宣言

  (有無を言わさぬ圧倒的なアメリカの威力の前に各国は沈黙するのみ)

そそくさと次の議題に移ろうとするウイルソンを遮り、牧野が最後の力を振り絞って述べました。

○牧野

「日本案に対し、
  過半数の賛成票があったことを議事録に記述するよう希望する」

これがウィルソンに対する精一杯の抗議でした。←(でもね 偉いですよ 歴史にトドメよって判断 と気迫。それにひきかえ、
国連の様子がたまに出ると 韓国とか中国に捏造の歴史抗議されたままうつむいて沈黙してるもんね 日本代表
ホントに代わってやるぜ!!今すぐって叫びたくなりますよ 私のがマシなんじゃないの? こういう根性なしだから高くつくのよ いつもね)


................別の説明
 
 第1次世界大戦後のドイツとの講和条約を議定するために開催されたパリ講和会議に、日本は西園寺公望、牧野伸顕、珍田捨巳らを全権とする代表を送りましたが、彼らは、南洋旧ドイツ領委任統治問題や山東問題と並んで、人種的偏見問題についても対処するようにとの訓令を受けていました。議場では、イギリスなどの消極的な姿勢を前に少しずつ妥協しながらも、牧野が「人種的、宗教的な憎しみが紛争や戦争の源泉となってきた」と主張するなど、日本全権団は人種差別の撤廃に向けて粘り強く交渉を続けました。
 1919年4月11日に開催された国際連盟最終委員会において、牧野は国際連盟規約の前文に「各国の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」との文言を盛り込むよう提案し、出席者16名中11名の賛成を得ました。しかし、議長であるウィルソン(T. Woodrow Wilson)米大統領は、このような重要事項の決定には全会一致を要するとして、日本の提案を退けました。こうして日本の人種差別撤廃に関する提案は、最終委員会での牧野の陳述と日本の提案に対する賛否の数が議事録に残されただけの結果に終りました。
 このようなパリ講和会議における人種差別撤廃問題に関する史料は、外務省記録「人種差別撤廃」に収録されています。また、このうち主要な文書は『日本外交文書』大正7年第三冊および大正8年第三冊上巻に採録されています。

 パリ講和会議に出席した日本人は 以下の通り。

 パリ講和会議は、第1次世界大戦後、ドイツとの講和条約を議定するため、1919年(大正8年)1月から同年6月まで開催されました。日英同盟の誼(よしみ)に従いドイツに対して宣戦していた日本は同会議に首席全権の西園寺公望をはじめ、牧野伸顕、珍田捨巳(駐英大使)、松井慶四郎(駐仏大使)、伊集院彦吉(駐伊大使、後に追加)を全権とし、総勢約60名からなる全権団を送りました。
 この全権団に随行した日本人のなかには、後に日本外交の中核を担うこととなる人材も含まれていました。そうした人々としては、近衛文麿、吉田茂、芦田均、松岡洋右らが挙げられます。また、同じく会議に参加した有田八郎、重光葵、斎藤博、堀内謙介ら当時少壮の外交官達は、初めての国際会議で露呈した日本の準備不足から外交力強化の必要を痛感し、会議開催中のパリで「門戸開放」「省員養成」「機構の拡大強化」の三点を軸とした外務省革新綱領を作成するなど外務省革新運動に乗り出しました。帰国後、彼らは外務本省内で本格的な活動を開始し、多くの省員の賛同を得て「革新同志会」を結成、その成果は省内に正式に設置された「制度取調委員会」に継承されました。1921年(大正10年)から23年(大正12年)にかけては外務省機構、人事、予算が最も膨張した時期ですが、それにはこの革新同志会運動が与えた影響が少なくないとされています。
 こうしたパリ講和会議における日本人の動向やその後の外務省革新運動の経緯については、外務省編『外務省の百年』に詳述されています。
「吾々は政府訓令の下に(国際)連盟をして人種平等の主義を認めさせるべく行動したのだ」
(牧野伸顕『回顧録』)第一次世界大戦後の「かたち」をさだめるパリ講和会議の国際連盟委員会。 大正8(1919)年だった。
日本代表団の全権、牧野伸顕は、冒頭の覚悟を胸に、人種差別の撤廃と平等を連盟規約に盛り込むよう訴えた。
 2日 事前の折衝で、米英両国は若干の修正を施したうえで賛成を伝えていた。しかし、豪州は拒否した。自国労働者を保護するために移民制限を行っているうえ、選挙が秋に予定されていたからだ…。『回顧録』はそんな裏話を伝えている。いざ委員会がはじまると豪州と同じ問題を抱える米国豪州の宗主国だった
英国は反対に転じた。のちに日本側は「各国の平等とその国民に対する公正な待遇を是認」などとする一文を連盟規約の前文に盛り込む-という折衷案を提出した。採決の結果、17カ国中、11カ国が賛成した。しかし、委員長のウィルソン米大統領は「こういう問題は全会一致を要する」と宣告し、不成立に終わる。
 3日 「国際連盟の前途のために憂う。機会あるごとに必ずこの問題は持ち出す」。牧野は総会でそう演説した。
閉会後、英首相のロイド=ジョージがやってきた。彼は牧野の手を握り、言った。「私は日本の態度に敬服する」

................ついでに寄り道

読み継がれる『武士道』、 明治以降、日本人の書いたものの中で欧米人に最も読まれ感銘を与えた書物は、新渡戸稲造の『武士道』である。←(これ原文は英語です 珍しく本が手に入ったので翻訳しようと思っています )
明治33(1900)年、英文で書かれ、欧米で大反響を呼び、欧州各国語にも翻訳された世界的名著であり今なお読み継がれている。 本書を著すきっかけはドイツ留学中、敬慕する一教授から「日本の学校は宗教教育は何を授けるのか」と尋ねられたことによる。宗教など一切教えていないと答えたとき、驚いた教授は「では倫理道徳はどう教えるのか」と迫った。「別に教えていません」と言うと教授は「
道徳教科なしに国民を指導する。どうして善悪の区別を覚えるのだろう」とつぶやき絶句した。ここから新渡戸は考えた。自分らは学校で宗教・道徳教育を受けてこなかったが欧米人より道徳的にすぐれているのはなぜか。明治の時代、武士道がなお脈々として伝えられ生きていたからであった。
18日 わが国は武士道があればこそ明治維新を成就し日清・日露戦争に勝利し、有色民族中、唯一独立を守り抜き欧米に劣らぬ国となり得た。武士道の精神が外国人をも感銘せしめる普遍的な道徳的価値を有していることは 台湾の李登輝元総統が「人類最高の指導理念」とまで高く評価していることからも明らかである。日本人の国民性を形成する根源となった武士道の精神を今こそ取り戻さなければならない。

............あと 知識が希薄で調べないといけないと思っているのがこれです↓

シベリア出兵の経緯
 第一次世界大戦末期の1918年(大正7年)8月、東部シベリア方面で孤立したチェコスロバキア軍を救援する目的で、日米両国を中心とする連合国がシベリアに派兵しました。その後日本は、各国が次々と撤兵する中で、1922年(大正11年)10月まで駐兵を継続しました。シベリア出兵に関しては、外務省記録「露国革命一件 出兵関係」というファイル200冊に及ぶ膨大な関係記録があり、この中に出兵に至る経緯を示した調書なども収録されています。
...........................

これらをまともにやって行くと 婆様になっても死ねないんじゃないかと思っています。膨大なる資料ですよね。宿題山盛りの後半生ってとこでしょうか。しかも無償でホームページに出す私です 笑 霞を食べて生きて行かなくちゃ!

不思議なのはデスね、日本史の学者って何しているんでしょうか 日本がこんなにずたずたなのに。
それとも私が気づかなかっただけで何か言ってくれているんでしょうか 彼らは。じゃあなんでこんなに日教組がばっこしているのかな


今日は へろへろなので無理やり閉会になった国会の事情その他追う元気がありませんので 明日、出直します。
全国地方議員のメルアドは 愛知県がアップになって完成しております

是非 保守ブログのあちこちにお知らせくださいませ
http://politiceconomy.blog28.fc2.com/blog-category-34.html

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yaegaki hime

Author:yaegaki hime
八重垣姫は、手に武田の家宝の兜を持ち、許婚者の身に迫る危険を知らせるために凍りついた諏訪湖を渡って行ったという。
私もこの日本の危機に、諏訪湖ならず太平洋も大西洋も地中海も渡って助っ人に行きたい気持ちになります。
どのような政治団体とも無縁の、在外の、一市民ですが、
中川昭一さんの訃報を受けた日に このブログを立ち上げました。
心からの敬意と愛惜の思いと、そしてご冥福を祈りつつ......日本の為に一人でも多くの人に正しい歴史観と脱マスコミを果たして欲しいのです。きっかけは、悪い国、悪い先祖、侵略の歴史

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