少し前に下記の記事を読みました。
大変参考になりました
http://ironna.jp/article/1332
北岡君、日本を侵略国家にする気かね伊藤隆(東京大名誉教授)
「曲学阿世の徒」 ──戦後七十年にあたり、安倍晋三総理は「安倍談話」を発表すべく検討中ですが、三月十日付の朝日新聞の記事によれば、北岡伸一氏が某シンポジウムで、「安倍さんには『日本は侵略した』と言ってほしい」と発言しました。「安倍談話」の諮問機関である「21世紀構想懇談会」の座長代理という立場にある学者がこういう発言をすることこそ問題です。北岡氏は大学院時代、伊藤先生のゼミに出ていたとうかがいましたが。
伊藤 彼は法学部だから指導教授は三谷太一郎氏だけれど、文学部大学院のぼくのゼミに出ていた。すごい秀才でしたよ。ぼくの家の新年会にもよく顔を出して、酒を飲みながら、「ぼくの目の黒いうちに必ず憲法九条を改正させてみせる」と大言壮語していたんだ。国連の次席大使になってニューヨークへ行くときには、自分が国連にいる間に日本を必ず安全保障理事会の常任理事国にしてみせると言っていた。実際には何もできなかったわけだけれど(笑)。
平成十九年に、当時、東大法学部教授だった北岡君から、「日中歴史共同研究の座長を務めることになったから少々ご意見を伺いたい」と連絡があって、北岡君はじめ共同研究のメンバーたちが集まった。そのときぼくは、「二つの国の歴史が交わることはあり得ない。日本には日本の歴史の見方があり、中国には中国の歴史の見方がある。相手の言っていることを聞き、自分たちの主張を相手に話して終わるのがいちばんだ」という話をして、「きみたちは学者だ。しかし、向こうは学者の顔をした政治家だ。彼らには、これだけは日本の学者に絶対に言わせようという狙いがある。それが『侵略』という言葉だ。これだけは絶対に言ってはいけない」と釘を刺しておいた。そのときはみんな納得したような顔をしていたんです。
ぼくは以前、北京大学で日本近代政治史の講義をしたことがあるんですが、「侵略」という言葉はいっさい使わなかった。何か意見が出るかと思ったけれど、その件については質問も出なかったし、みなさん非常に満足して盛大な打ち上げをしました(笑)。
ところが、いざ北岡君たちが発表した日中歴史共同研究報告書を見たら、日本側論文のタイトルに「日本軍の侵略と中国の抗戦」、中国側の論文のほうには「日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争」と大々的に謳ってあった。本文に「とくに戦場となった中国に深い傷跡を遺したが、その原因の大半は日本側が作り出したものといわなければならない」なんてことも書いてある。
その二カ月後に発表された日韓共同研究のほうは、委員の古田博司先生(筑波大学大学院教授)がかなり頑張った。だけど、日中はひどい。ぼくは裏切られたと怒り心頭に発し、売国奴とまで言った覚えがあります。
日本財団会長の笹川陽平さんはブログで「曲学阿世」と書いて批判していました。何があったか知らないが、あれほど言ったのに、ぼくの助言を無視して学問を曲げ、中国に媚びた。まさに曲学阿世の徒です。その北岡君が、安倍談話に「侵略」という言葉を入れてほしいとまで言い出したのは言語道断というしかない。
「侵略国」とは「敗戦国」
「侵略国」とは「敗戦国」
──三月十四日付の朝日には「(21世紀構想懇談会)座長代理の北岡伸一・国際大学長は先の大戦について『侵略戦争であった』との認識を示した」という記事が載りましたが、翌日、訂正記事が出た。その一部を引用すると、
「北岡伸一・国際大学長は先の大戦について示した認識が『侵略戦争であった』とある部分は『歴史学的には侵略だ』の誤りでした。(略)北岡氏は先の大戦について『私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的には』と答えていましたが、『侵略戦争』という表現は用いていませんでした。確認が不十分でした。訂正しておわびします」
まるで禅問答のようになりますが、「侵略戦争」と「侵略」のどこが「訂正しておわび」しなければならないほど違うのでしょうか。
伊藤 そもそも「侵略」の定義がまだはっきり定まっていない。それは安倍総理が言ったとおりです。
日中戦争を例にとると、日中共同研究報告書には、さっき言ったように、「戦場となった中国に深い傷跡を遺した」と書かれていましたが、自国を戦場にされて、中国人が侵されたという気持ちになったというのはわかる。しかし、戦争なんだから、どこの国土で戦うことになるかはそのときどきの力関係の問題であって、それが直接「侵略」に結び付くわけではない。日本が劣勢になったら中国が日本に攻め込んでくることだってあり得る。
第一次世界大戦では、ヴェルサイユ条約のいわゆる「戦争責任」条項に「ドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果……」とあって、ドイツは「侵略」の代償として連合国の戦費すべてを全額負担するという前代未聞の賠償金を要求された。しかし、では「侵略」と断じた根拠は何かと言えば、それにはまったくと言っていいほど触れられていません。
次の第二次世界大戦では、日本が東京裁判によって「侵略国」として断罪された。日本の近代史研究者の大半は、多少の濃淡はあっても、根が東京裁判史観です。東京裁判では明らかに日本という「侵略国家」のリーダーたちを裁いていて、判決もそれに立脚している。それは事実だ。しかし、これは戦勝国が敗戦国に対して行った裁判だから、学問とは何の関係もない。
そうやって考えてみると、歴史上「侵略国」という烙印を押されたのは「敗戦国」ドイツと日本だけです。多くの人が言うように、侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、「侵略国とは戦争に負けた国である」。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、「侵略」を定義するなら、「侵略とは敗戦国が行った武力行使である」。それ以外に言い様がないというのが、ぼくの結論です。
そもそも中国が盛んに主張しているのは「田中上奏文」の問題です。あれには日本が中国を征服して世界を支配すると書いてある。そんなばかなことがあるわけがない。ところが、中国は、それこそ日本が「侵略国家」であることの証だと言う。日本ではもう偽書だという見方が定着しているけれど、中国はあれが偽文書だなんて絶対に認めない。
日中共同研究のときも、たしか中国は田中上奏文を楯にとって日本に「侵略」の意図があったと主張していた記憶がある。中国は「侵略」という言葉がどうしても欲しかった。そのために日中共同研究をやろうとしたんですよ。日本人は歴史というのは学者のやることだと思っているけれど、中国ではそうじゃない。歴史は政治なんですよ。だから、そのことを十分留意してくれと北岡君に言ったんだけど裏切られた。中国人はみごと「侵略」を勝ち取ったわけです。
「歴史学でみれば侵略」?──北岡氏は共同研究のあとで発表した一文で、次のように言っています。ちょっと長くなりますが、引用します。
「日本が侵略をしたのは明らかな事実だと考えている。これは共同研究の成果でもなんでもなく、以前から考えていることである(略)私だけではない。日本の歴史学者で日本が中国に侵略をしていないという人はほとんどいないと思う。 一部に、侵略の定義が決まったのは比較的近年のことであり、それまでは侵略の範囲というのは明白ではなかったので、当時の日本の行為は侵略とはいえない、という人がいる。しかし、侵略の定義の決定に時間がかかったのは、侵略と被侵略の間に微妙な部分があり、その境界を埋めるのに時間がかかったからである。満州事変以後の日本の行動は、そのようなグレーゾーンの問題ではなく、いかなる定義になっても明らかに侵略と判断される事案である。それに国際法の議論がどうあろうが、歴史学としてみればこれは明らかに侵略なのである」 このように彼は「歴史学でみれば侵略であることは明らかだ」と繰り返し言っています。伊藤 歴史学的にみて侵略だというのはどういうことなのか。国際法的には定義はないが歴史学的には定義はあるのか。そんなわけはない。にもかかわらず、あると言い切る根拠はいったい何なのか。同じ研究者としてぜひ北岡君にご教示願いたい。
東京裁判史観に侵された人はみんな「侵略」と言うんだ。「日本の歴史学者で日本が中国を侵略していないという人はほとんどいない」かどうかは別として、たしかに、東京裁判史観の影響というのはものすごく強いから、多くの学者があの戦争は「侵略」だったと言っているのはそのとおりです。左翼の学者は東京裁判全面支持だし。北岡君は東京裁判史観を受け入れているわけじゃないかもしれないけれど、学界に迎合するようになったのかな。座長として彼の名前が入ったちゃんとした日中共同研究で報告書を出し、しかも「侵略」という言葉を入れてしまったから、後に引けなくなっているのかもしれない。
彼は「日本が侵略したところから出発している」「南京虐殺でも多くの中国人が日本軍によって殺害されたのは事実で、認めるところから入っていった」というようなことも書いていた。
なぜ中国に義理立てするんでしょう。さっきも言ったように「侵略」は政治的な用語だから、絶対に認めてはいけないと言ったのに認めてしまって、それがいまになって重荷になっているんだ。
第二次上海事変は中国側から仕掛けているし、秦郁彦氏が言っているように、日中戦争のきっかけになった盧溝橋事件も国民党軍から発砲したという可能性が高い。部隊にまぎれこんでいた共産党の人間が撃ったとも言われています。ソ連から見れば日本と中国が戦うのは好都合だったし、毛沢東にとっても国民党が日本と戦って弱体化してくれればそれに越したことはない。アメリカのルーズベルト政権も共産主義の影響が大きくて、大統領周辺にはコミュニストが多かったことが明らかになっている。共産主義の影が第二次世界大戦全体を被っているような気がしますね。
安倍談話への期待伊藤 結果として日本は負けたけれど、別に中国に負けたわけじゃない。
決定的だったのは原爆投下とソ連の参戦です。中国は何の役割も果たさなかったかと言えばそうでもなくて、アメリカの武器援助によって日本にボディブローを打ち続け、ある程度のダメージを与えた。
そういう流れを見ると、この前の戦争を「侵略国」に対する・正義の戦争・だなんて割り切れるわけがない。第一次大戦の時も勝ったほうは「正義」で負けたほうは「悪」になったけれど、構図がはっきりしなかった。それに対して、第二次世界大戦は、勝利国側は「民主主義対ファシズム」と決めつけた。では、民主主義とは何か。ソ連が民主主義国だとでもいうのでしょうか。
ソ連は日本を降伏させるのに重要な役割を果たしたけれど、北朝鮮と満洲地区の日本軍を武装解除し、その武器を中共軍に渡した。それで中共軍は勢いづいて国民軍に勝利を収めた。
日本は終戦間際にソ連を通しての和平を模索しました。近衛文麿が特使に任命されてモスクワに行くことになった。海軍から随行する予定だった高木惣吉の描いたプランを見ると、スターリンにアメリカとの仲介をしてもらい、日本が名誉ある降伏をする。その見返りとして、日本が大陸で持っていた権益はすべてソ連に渡す。講和条約が結ばれた暁には、日本とソ連で対英米軍事同盟を結ぶということになっている。
近衛の側近だった細川護貞の『細川日記』を読むと、日本が共産主義になるのはしかたがないと多くの人が考えていたことがわかる。共産主義の恐ろしさを身に染みて感じてはいなかったんです。例の「近衛上奏文」で左翼分子がいかに国を誤らせたかをつづり、「
これからもっとも憂うべきことは敗戦よりも敗戦に伴って起こるであろう共産革命に御座候」と書いた近衛周辺だけは、その恐ろしさがわかっていたと思います。
最近話題になったフーバー大統領の回顧録には「
日本との戦争のすべては戦争に入りたいという狂人(ルーズヴェルト)の欲望であった」という記述があります。日本を挑発して、最初の一発を撃たざるを得ない状況に追い込めば、アメリカは日本に対して宣戦布告できる。そうすれば三国同盟によってドイツもイタリアもアメリカに対して宣戦布告することになり、アメリカは大っぴらにヨーロッパ戦線に関与できる。さまざまな状況をみれば、それが真実だと思う。
こういう複雑な全体の構造を見て、それでも北岡君は日本だけを「侵略国家」にしたいのか。日本を追い詰めてついに発砲せざるを得なくしたアメリカに対しても、日本は「侵略国家」だったのか。そう問いたいですね。
──最後に、安倍談話にはどんな内容を期待されますか。
伊藤 前の戦争についてはサンフランシスコ講和条約ですでに決着がついています。韓国とは日韓基本条約を結んで多額の資金供与と融資を行い、それをもとに世界最貧国だった韓国の近代化が始まった。中国とは国交正常化を果たし、天安門事件で世界から制裁を受けているときには天皇が訪中して国際的な立場を回復させた。さらに多額のODAと技術的援助をしてやったおかげでいまや世界ナンバー2の経済大国になった。それがすべてです。
だから、もう過去に触れる必要はないんじゃありませんか。そういうことを本当は北岡君が言うべきなんだ。七十年もたって、いまさら「申し訳ありません」でもない。まして「侵略」なんて曖昧な言葉は決して使うべきではない。
過去への反省がないと中国・韓国あたりが言ってきたら、「村山談話」を引き継いでいると言っているんだからそれでいいじゃないか。歴史認識云々に対する反論は別にやればいい。
談話は戦後のアジアはじめ世界に対する日本の貢献と未来の話をするべきです。ぜひそういうものにしていただきたい。伊藤隆(いとう・たかし)
あーーーーーあ、そうならなかったどころか 大変な事になっちゃった。一九三二年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。同大学院人文科学研究科国史専攻修士課程修了。専攻は日本近現代政治史。東京大学教授、亜細亜大学教授、埼玉大学教授、政策研究大学院大学教授を歴任。現在、東京大学名誉教授。主な著書に『日本の内と外』(中公文庫)、『昭和史をさぐる』(吉川弘文館)、『評伝 笹川良一』(中央公論新社)などがある。