国会中継を見ると いまだに盛りかけから離れないみたいで びっくりというより絶望してしまうので
もう何も見る物がありません。
私の大嫌いなホリエモンが 国会なんかいらないと発言していて議員も国会もいらないというのは私は
今回ばかりは同感です。
まぁ なんと下らない事に時間と莫大な費用をかけているのかと。
すると自民あたりの優秀な議員が自分たちは一生懸命勉強会などやっていると反発するんですが
なんでいまだにどぶ板またいで足で有権者を訪ねていると自慢するのかと言い返されていましたが
いくら勉強会をしたって 最後はモリかけで終始している下らない国会が頂点だったら議員もいらないと
思い上がりの強い、肉ったらしい 辟易とする傲慢なホリエモンの意見のがまっとうな気がしてしまうくらい
国会の在り方がつまりは酷い。
これしか居ないの?というくらいに 貧相な野党と 誰も好きになれない期待も出来ない議員ばかり。
またぞろモナコを思い出してしまいました。
たったの二平方キロしかないバチカンの次くらいに小さいこの国のレーニエ三世がグレースケリーに求婚したときは
第二次大戦後で国庫は空っぽ。
フランスからは後継ぎが生まれなかったら国土没収の威圧がかかっており、あの結婚は世紀の政略結婚以外の何物でもなかったというのですね。私は確か母から子供のころに世紀のおとぎ話かのようにきかされていましたが 母は何もわかってなかったのですね。
戦争後 もうカジノどころではないかつての大金持ちや 戦争成金を呼び戻したくて 大女優を娶って華々しく世界の注目を集めて国庫立て直しを図りたかった。
真相はこういう政治的背景にあったようです。
しかも あの御面相のレーニエは グレースケリーの実家に二百万ドルの輿入れ金を課したって言うのですもの びっくりです。
あの当時の二百万ドルって今の七億円くらいの威力はあったのではないかしら。
ケリー家は大した大金持ちだったので何でもなかったらしいですが それでも持参金を付けないといけないような娘ではないと一度は辛らつに跳ね退けたそう。
マリリンモンローも候補に挙がっていたらしいですが 健康な子供を産んでもらわないといけなかったし やっぱりグレースケリーしかなかった。上品さも賢さも全然違う。
けれども 念願の子供を産んであげて モナコの宣伝塔としての役目は十分果たした頃、アルフレッド・ヒッチコックの鳥のオファーが来るんですね。グレースケリーは30歳を少し出たくらいか、もう居てもたってもいられないくらいこの役がやりたくて 夫を説き伏せるんですね。それでやっと了解が出るや モナコの国民が当時五千万と居なかったろうに猛烈に反対して ローマ教皇にまで取りなしを陳情して大変な騒ぎになった。よって、ついに二度とこういうお話は無くなったと。
グレースケリーの残した言葉が三つくらい云い伝えられていますが
当時19歳だった レデイDに化粧室で、
-大丈夫心配しなくても これからもっと悪くなるだけだから......
-よくおとぎ話のような人生と言われるけれど それこそがまさにおとぎ話よ。
-悲しみは一人でじっと耐えるもので決して外に漏らしてはいけないの
実家の父親が亡くなった時に
一度でいいから父から認めてもらいたかった
モナコの教会の床石に刻まれたこの人の墓碑を見て 何とも言えずに哀しい気持ちがしました。
あの頃の女性は じっと内面に秘めて暴露本や告白インタビューなんかに出たりしなかったですものね。
生まれた子供は誰もグレースケリーの美の遺伝子を受け継がないで 写真を見るとまるで彼女だけが本物の麗質にしか見えない。
生き方も三人とも物凄くて 実を見れば木の素性が分かるなんて陰口聞かれたみたいですが その木は父親の方でしょう?
笑っちゃいますよ お門違いよ、と。
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