ご無沙汰しています。
私事ですが 一流のレストランで会食中に 人目もかまわず思わず顔を覆って泣いてしまうほどの事件が先月起こりました。
あまりの事に頭は麻痺してしまうし 心は押しつぶされて しかも爆発するかと思うほどのインパクトが起きて もうどうすることも出来ませんでした。
悲しいとか悔しいとかそんな生易しい感情では表現できません。
広島と長崎の原爆のキノコ雲を必死で 内部に押し込んでいるようなせめぎ合いでした。
感情のコントロールが出来ない
爆発するわけに行かない
何千何万という言葉が頭と心に溢れかえりましたが 一つのフレーズも作れませんでした
キノコ雲を抑えるだけでせいいっぱいなのと
同時進行で心が木っ端微塵に砕けてしまったのです。
このくらいの衝撃を自分はかつて味わったか思い出せませんでした。
こういう時、人はどうするのか頭の辞書にも教科書にも書いていない気がしました。
思えばかれこれ三年近く 苦しんでいた気がします。
しかも どう対処するか答えは全く出ませんでした。
いや、答えは出ていました。
命にも代えがたい娘を勘当だと決めていました。
もうこの娘は 居なかったものとするしかないと思っていました。
もう一人 末娘が居ますが この子に姉の事は忘れると言い切っていたので 妹経由で姉の耳に当然入っていたはずです。
勘当だ
当然 勘当。他に道は無い。疑う余地なし。
私以外の全ての良識ある人々は 私の意見など全然支持できないと 異口同音に言うのでした。
全員 娘の味方です。
理屈では そうに違いないですが 心が全然その方向に一ミリも行けませんでした。
少しでも試しに行ってみようとしても 血の涙が出そうになるのでした。
眼がしらが熱くただれて 心が雑巾のように堅絞りになり、息は途絶え 絶望を繰り返すのでした。
思い余って ある学者に国際電話しました。
文書では 先方は思いあぐねて返信は遂行を重ねて本音が聞けないと思ったからです。
第一声を聞かなくてはなりません。世界にこの先生しか居ない。
「先生、お返事は一秒で済むことですが 私はもう何年も娘と音信不通以上の シコリとわだかまりのために気持ちが通いません。
彼女の拒否が激しいためですが それは私の不寛容に根差しています。単刀直入に伺いますが 深く歴史研究に生涯をささげていらして かつて日本が絶えた屈辱、今現在も進行中の危機に胸を痛めていらっしゃるとお察しします。私は先生に負けないくらいに日本の危機に懊悩する立場です。それはよくご存じと思います。さて、そのような激しい日本国への思いと焦燥の毎日を暮らす私の命より大事な長女が 他に民族もあろうに中国人と婚約しているようです。先生、もしもこれが先生のお嬢さんに起きたとして 先生は寛容できますか? 」
高名なる学者の先生は あまりの事に むむと唸ったきりお返事が出来ない様子でした。
「..........いや.........無理です 出来ません」
やっと 絞り出すようなお声で 思った通りのお返事で 私は胸が凍るかと思いました。
それから ずっと暗い気持ちに打ちのめされながら暮らしていました。
人生は どうしてこういう過酷な試練を仕掛けてくるのだろうか。
母方は名の通った氏族の名家で 私の曽祖父は靖国神社に非常に縁の深い人です。
母までで八代続いたれっきとした江戸っ子で ああ この家系に..........
まさに血が逆流するかと言うくらいの苦しみが何度も襲って来るのです。
そして何年ものわだかまりをひとまず超えて
娘は550kmの彼方から 私に会いに来ました。
幼いころに戻ったような まるで何事も起こらなかったような幸福な二日間が過ぎて
とびきり素敵なレストランに夕食を誘って席に着いた途端です。
付き合っていたのは知っていると思うけれど もう三年になるの。
それで いよいよ来年結婚することにしました。
私はここでこの三年と言う年月にまず押しつぶされ、
次の続くフレーズで撃沈してしまいました。
顔を覆って泣いてしまったのです
人々の目を気にすることもできず。
家までの帰り道
一言も喋れず 内心は非常にまずいと分かっていても 何の構成も出来ません
娘はずっと耐えていて 不憫でないことも無かったですが 万感の思いが去来して
家に着くなり ベッドに倒れ掛かり、お休みも言わずに寝てしまったのです
眠れない夜というのは甘くて あまりの心の葛藤に耐え切れず 憔悴し
気絶してしまったという方が 近いかもしれません。
朝 目覚めるなり 止めどなく涙が溢れかえり
いよいよ まずいと舌打ちしても 心は破片を拾い切れませんでした。
ああ、結婚に親の許可がなければ 駆け落ちか自殺しかなかった昔はついこの間なのに
なんと世の中は変わってしまったことだろうか
親の権威などもうどこにもなく、私が母に感じた気後れすら娘の代にはなかった。
世を挙げての人種差別撤廃で思想を叩き込まれ、海外で生まれ育ったがゆえにアジア人により多くの親近感を持ち、
バカで度ケチのスペイン人など 鼻にもかけないって言うのは私ですら理解できる。
それにしても 他に民族は居ないのか???
私がChinaにどういう気持ちを持っているか知っているわよね?
それはもう...でもあの人たちは 違うの。
心穏やかで いつでも親切で機嫌がよく、口喧嘩すら一度もしたことが無いのよ、ママ。
おお、それじゃあ離婚の夢も無いか......
結局 言いなりのバカ殿か......と思うと
頭はとても良くて 商才に長けているのだけど ずる賢いとか不機嫌で我儘というのが一点も無いの
オックスフォードにも行ったけどスペイン育ちよ。
いつ会ってくれるの?
増々気落ちする私でした。
その場の空気は明らかに私の方には味方してくれていませんでした。
私は この娘の病のために 自分の生涯のキャリアを二週間で全部棒に振ったのでした。
こんな事なら あの時 帰国するんじゃなかった シナ人にくれてやるために
掛け替えのないキャリアを捨てたなんて!!!
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