私と長女の間には 物凄い棘の 辛い苦しい葛藤の10年間が横たわっていた。
娘の一方的な拒否と なんだか全然良く分からないわだかまりが 息苦しく横たわっていてどんなに努力しても融ける様相を呈していなかった。あまりの苦しさにもう死んでしまいたいと思う事が何度あったか知れない。
理由が分からない。
周りの誰も分からない
高校生の時から続く反抗期みたいなものだけれど それ以前は私は彼女の憧れの的で 自慢の母親だったのだ。
20歳を過ぎても全然好転しないばかりか増々ひどくなるので匙を投げかけていた。
そこへもってきて中国人の婚約者だ。
読者の方には前回、前々回を一読いただくと経緯がご理解いただけると思いますが
私が仕方なく
ウエディングドレスは私が買ってあげると言ったのが境で
何がどう溶解したのか知れないけれど まるでこの10年がなかったかのような 昔の仲の良い親子になってしまった。
彼女が一方的に変わったのだ。 いや、戻ったのだ。
毎日 メッセージが届く。
どうでもいいような昼のご飯の写真が送られてくる。
かわいい新生活の小物の写真が添付されてくる。
私の健康を気遣ってくれる。
ついこの三月には 交通事故に遭って車のサイドが大破したのに 何も言ってこなかったのに、だ。
なんだ ウエディングドレス一丁で この変化。
つまりは結婚を容認した シナ嫌いの母親の苦しみと葛藤を理解したのかな。
彼女の反抗期がここで あえなく終わったのだ 八月の事だ。
もう一生続くのかと思った。
この週末にふいにマドリードに行くことにした。
下の娘にも会いたいし 長女のドレスも見に行こうかと思って突然 列車の切符を買った。
案の定、婚約者に会って欲しいと言う。
深いため息が出たけれど 何気の返事がアカデミー女優みたいに上手く出来た。
いいわよ どうせ旅行者で仕事もないんだから........時間も曜日も いいように決めて。
前夜は 全然眠れなくて ついに起き上がった。
友人宅の冷蔵庫を漁って ベルモットをぐい飲みしないと寝付けない 午前三時。
ああ、もう明日はめためただ。
約束の時間が迫ると家に帰りたくなった。
七時の待ち合わせで夕食を一緒にって予定だった筈が 婚約者は待ちれなかったのか
仕事を早めにたたんで 二時間も前に私と娘の目の前に現れた。
アカデミー助演女優賞の演技を頑張る私。
年齢総決算の千里眼で相手を じっと観察。
結論から言うと 自然体で優しくて礼儀正しく、欠点が見つからなかったです。
お爺さんの代でスペインに渡った 彼は三世で 生まれも育ちもスペインのマドリード。中国語は 16歳になって始めて習いだしたそうなので 気持ちとしてはスペイン人だそうです。両親はシナの物凄い田舎の生まれで15歳でこちらに渡り、身を粉にして働いて今の事業を起こした苦労人だと淡々と言うのでした。シナに親戚は一人も居ないそうです。
共産党の誰かと繋がっているとも疑えなかった。
生まれも育ちもスペインと言うところで うちの娘と同じ。
男だけ二人の兄弟の彼が兄。女の子だけのうちと正反対。
それでうちの娘はあっちの母親にめちゃくちゃに気に入られているのかな? 女の子が居ないから...まだ若くて48歳だそう。
グローバル世代で 人種差別を厳しく撤廃させられた教育を受けてきたから こうなるのか......
過酷な労働を耐えて来た両親だと恥じずに 誇張もせず 朴訥と語る姿は 好感が持てました。
スペイン育ちのくせに口数が極端に少なく、邪気の無い笑い顔をする。
ああ、だめだこりゃあ.......そんな感じ。
もうすぐマンションのキーの受け渡しがあるので そうしたら私にコピーを差し上げれると言った時には ちょっとびっくりしました。
帰り際、娘にウエディングドレスの最初の一部金を渡すと 彼が頭を下げてありがとうございますって言うのには ほだされてしまった。
今時、こういう若い男の子って居ない気がしました。完敗。
次回はご両親に会わないといけない。やれやれ......
どうやってシナと戦って行ったらいいのかしら。
ここに例外ありますって......ねえ......挫ける
複雑な気持ちで またこの夜も 寝付けませんでした。
ああ、人生 何があるか分からない。
皆さん、何の因果か 下の娘の恋人は なんとロシア人なんです。
ブログが絶筆しても不思議ではないでしょう?
冗談もいい加減にしてって感じです。
三人目の女の子が居なくて良かった。
朝鮮人登場になったら いくらなんでも死にたくなっちゃう
今でも十分 落ち込んでますが。
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